昨夜、PENPALSの解散が正式に発表された。
わたしにとって、マネージャーになってからは何よりも大切なものはPENPALSで 生活はすべてPENPALSの活動が基本だった。 昨年の夏に活動休止になったときにすでにメンバー各自はそれぞれの音楽活動を開始していたし、わたしもその活動をサポートしていた。 でもこころにぽっかり開いた穴を埋めることはなかった。 わたしはPENPALSとしての1回目のライブを見逃したときに、当時SHORT CUT MIFFY!の沼倉(現:tae)に「なんで来なかったの!アホだ!」と言われた。 もちろん次のライブを見逃すはずはなく、そしてその2回目のライブを下北沢のQueで観たときに こころが震えた。 すぐに欽也君に「わたしのイベントに出てください」と交渉した。 Shelterでは向かいの焼き鳥屋を楽屋代わりにするメンバー。 酔っ払ってころがった盛也君。 ドラムセットに沈むハヤシに気付かず叩き続ける欽也君。 マイクに激突して血だらけに気付かずに歌うハヤシ。 イベンターなのにわたしは客と一緒に笑い転げた。 PENPALSのお客さんは当時20人にも満たない時もあり、その都度miyukiちゃんがメンバーの代わりにわたしに謝った。 「AMERICA MAN」ではコーラスとしても参加した。 その日の夜は白木屋のワインがなくなるまで飲んだ。 朝、吉祥寺で立ち上がれなくなるほどみんな泥酔した。 サポートとして参加していた義人と出会ったとき、義人は人見知りでほとんど話をしなかった。 次に会ったときは朝まで一緒に飲んだ。 わたしが前職で仙台に転勤になったときにも、仙台をツアーやキャンペーンで訪れたときに誰よりも何回も必ず連絡をくれたのはハヤシだった。 心細い知らない土地での転勤のときに初めて会えた東京の友達はハヤシだった。 そんなハヤシからのオファーだったからこそわたしはPENPALSのマネージャーになった。 4人と活動をともにした2年間はたくさん辛いこともあった。 なのに今はあの時間に戻りたいと思う。 辞めようと思うことも何度もあった。 なのに今はあの日のことを何度も思い返している。 わたしの力が及ばず、解散を受け入れることが出来ずにいる人はたくさんいるだろう。 本当にごめんなさい。 PENPALSにも周囲の人にもファンの人にもたくさんのものを与えてもらったのに 何も出来なくて本当にごめんなさい。 わたし自身、きっと12/30のライブを観ないことには受け入れられないと思う。 だってこんなにも好きになったバンドはきっと後にも先にもないだろうから。 こんなにも長い時間を一緒に過ごしたバンドにはもう会えないだろうから。 応援してくれた皆さん、本当にありがとう。 そしてメンバーと社長にも何度感謝してもし足りない。 そして何より、わたしの新しい道を見つけてくれたハヤシにありがとう。 わたしの気持ちは、いまはこれしか言えない。
by mori_hey
| 2005-10-20 04:35
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